• essugano

ライブの圧倒感


ライブ配信が日常化している今日この頃。海外の音楽祭や国際コンクールでもよく中継が行われています。その先鋒がMedici TV。映像・音ともに美しいです。元々音楽祭やコンサートが中心でしたが、先日は初めて国際コンクールが中継されました(モントリオール国際コンクール)。本当に便利な時代になりました。しかしこんなデジタルな時代だからこそ、アナログな感覚も大切にしたい。やはり生でなければ味わえない音や空気感もあります。思い出すのは先日も書いた2010年度エリザベト王妃国際コンクールでのエフゲニ・ボジャノフの演奏。会場の空気がぴたりと止まり、まるで真空の空間で音を聴いているような圧倒的に凝縮された時間でした。それから1か月後、何気なくアーカイブ映像を見たとき。もちろん素晴らしい演奏であることに変わりはないのですが、まるで伝わってくる音の印象と緊張感が違ったのです。ライブの感動を記憶にとどめておきたいと思い、途中で映像を止めました。勿論中には生と映像であまり印象が変わらないピアニストもいました。この違いは何だろうか?と思いながらも、やはり芸術は「全体感」で味わいたいと思った一瞬でした。もしかしたら記憶が美化されたり増幅されているのかもしれませんが、感動体験とはそういうものでしょう。それから数か月後のショパン国際コンクールで感じたものは、エリザベトの時と同じでした。 一方、美術界でもデジタル化が進んでいます。最近ではデジタルアーカイブで展示品を閲覧できるようになりました。どこにいても、世界の素晴らしい絵画や彫刻をPC上で見られるのは有難いことです。 本当に便利な世の中ですし、勉強にもなりますね。それでもなぜ「本物を観なさい」と言われるのでしょうか。それはその作品が実際どのような大きさで、美術館でどのように展示され、どのような輝きを放っているのか、そして自分がその作品の前で立ち止まるのか、立ち止まらないのか、あるいは凝視するのか。そうした自分の身体の直感的な反応によって芸術を体感せよ、ということではないでしょうか。そういえば、最近どの作品の前で止まったかな・・・?そうそう、今春再訪したオランダのマウリッツハウスに所蔵されているフェルメールとヤン・ステーンでした。フェルメール「真珠の耳飾りの少女」はさすがに圧倒的な存在感を放っています。実は彼が参考にしたのではないかと言われている別の画家による女性の肖像画が、その斜向かいに展示されています。2つの作品を対比させると、少女の無垢と純粋さに満ちた瞬間を切り取るフェルメールの感性が際立ちます。耳飾りにさっと塗られた一筆も、慎重ながらも迷いなく、真珠の輝きが再現されています。こちらを見つめる少女の眼、そして真珠の輝きは第二の眼のようでもあり、静かな迫力を伴ってこちらに語りかけてきます。またヤン・ステーンの作品は寓意と風刺に満ちていて、観ていて飽きません。もっと見たい、と思わせるユーモアたっぷりの画風は好きですね。思わず展示室を2周してしまいました。

#国際コンクール #音楽教育

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